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神戸の高級住宅地 御影の魅力

神戸市内の高級住宅街として知られる御影エリア。明治時代以降、富裕層が多く流入したことをきっかけに、独特の空気が醸成されてきた街として知られています。ここでは、御影の魅力や歴史、坪単価などについてまとめています。

目次

神戸の高級住宅地 御影の魅力について

神戸の高級住宅街として知られる御影。かつては酒造の町として繁栄していましたが、明治時代・大正時代に多くの豪商たちが流入して郊外住宅を建てたことをきっかけに、以後、名実ともに富裕層の多く住む高級住宅街として定着しました。

住宅街でもある一方で、エリアの随所に多くのレストランが立ち並ぶなど、グルメの街としても有名。神戸らしい洋食レストラン、神戸らしいスイーツ店などが多く、一年中、住民や観光客たちの舌を楽しませています。

富裕層が多いことが関連してか、地域には教育熱心な方が多いことも特徴。御影のある灘区内には、全国的に有名な灘中学をはじめ、六甲学院中学、港南女子中学など、難関私立中学が数多くあります。それに対応するように進学塾も多く開校しているため、お子様の教育環境を重視する方にとっても満足度の高いエリアとなるでしょう。

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御影の坪単価

2022年(令和4年)のデータによると、御影(阪神)の平均坪単価は107万6859円/坪で平均地価は32万5750円/㎡。御影(阪急)の平均坪単価は103万2422円/坪で平均地価は31万2307円/㎡となっています。それぞれ前年比で3.01%、0.26%の上昇です。

1983年からのデータを振り返ってみると、たとえば御影(阪神)は1990年(平成2年)が最高値を記録。平均坪単価は307万4380円/坪で平均地価は93万0000円/㎡でした。

以後、バブル崩壊の影響で地価は下がり続けましたが、2013年(平成25年)から上昇に転じ、以後2022年(令和)の現在まで毎年、前年比でプラスが続いています。

参照元:土地代データ(https://tochidai.info/hyogo/kobe-higashinada/)

御影の交通事情

鉄道の交通事情

御影は阪神電鉄の駅がよく知られていますが、ほかにも、阪急とJRを含め3つの路線が通るエリア。北部に阪急、中部にJR、南部に阪神が東西で並行するように走っています。中部に住んでいる方であれば、JR住吉駅を含めて3路線が徒歩圏内に入ります。

神戸や大阪への鉄道アクセスが良いことも御影の特徴で、阪神の御影駅から神戸三ノ宮駅までなら乗り換えなしで最短6分ほど。大阪梅田までなら乗り換えなしで最短26分ほどで到着します。

バスの交通事情

御影エリアに乗り入れているバス会社は、主に神戸市営バス、みなと観光バス、阪神バスの3社。中でも特に神戸市営バスの運行数が多く、阪神御影停留所には合計8路線が乗り入れています(南口停留所も含む)。

各社のバス路線は、住吉駅も含む御影エリア内の各駅や住宅街、六甲アイランドなど多方面に運行。駅から離れた場所にお住まいの方であっても、バス路線が充実しているので、通勤や通学、日常生活などの足に不便を感じることは、ほとんどないでしょう。

自動車の交通事情

御影は住宅街が広がるエリアなので、全体的に整然と区画された道路が網の目のように広がっています。中には、やや狭い道路もあるため、運転する際には注意しましょう。

JR住吉駅と阪神御影駅との間には、エリアの幹線道路となる国道2号線があります。また阪神御影駅の南側には阪神高速3号神戸線、さらに南には景色の良いハーバーハイウェイが走っています。

目的地が近場であれ遠方であれ、道路事情は良好と考えて良いでしょう。

御影の歴史

先史時代からの居住地

海や川、山が近く、自然の恵みが多い御影エリア。食糧事情が良好であったこともあり、御影には太古から多くの人々が暮らしていたようです。

エリアにある郡家遺跡は縄文時代からの複合遺跡とされ、その範囲は南北1km、東西500mにもおよびます。縄文早期の土器も出土していることから、一帯は実に古い時代から栄えてきたと考えられるでしょう。

弥生時代の住居跡も見られることから、かつては稲作も行われていたものと推測されます。出土した弥生式土器は生駒山西麓で作られたものと判明しているため、他のエリアとの交易も行われていたようです。

御影を含む灘区エリアでは、土器だけではなく銅鐸や銅戈も出土しているため、早い段階から金属器が流通していたことも分かっています。

江戸時代以降は酒造の町として繁栄

時代が下って江戸時代に入ると、灘エリア全体が日本有数の酒造の町として発展しました。中でも特に酒造が盛んに行われたエリアが「灘五郷(なだごごう)」と総称される5つのエリア。その1つが御影でした。

なお日本酒好きの方はご存知と思いますが、灘は現代でも酒造の町として有名です。日本における清酒生産量の約3割は灘エリアで生産されています。

明治時代から富裕層の流入が増加

先史からの歴史を重ね、酒造の町としても発展した御影エリアですが、一帯の景色は明治時代の初期まで田畑が中心。富裕層が多く居住する現代のイメージとは大きく異なりました。

その様相が一変するきっかけとなったのが、明治33年に村山龍平(朝日新聞創設者)が御影に数千坪の土地を取得したこと。のち、エリアには贅沢な洋館などが建てられ、やがて阪神電車が開業したことも手伝って、一帯は富裕層の郊外住宅地となっていきました。

明治末期には住友家の総理事や日綜祝の創業者なども移住するなど、名実ともに富裕層が住まうエリアとして定着していきました。

戦争や災害を乗り越えて現代にいたる

富裕層の住むエリアとして繁栄した御影ですが、その繁栄は戦争の影響で一旦途切れる形となります。

1945年(昭和20年)、御影エリアは大規模な空襲を経験。富裕層の郊外住宅の多くが焼失し人口も激減しました。故・野坂昭如氏の名作『火垂るの墓』は、作家自身の御影での戦争体験を描いたものとして知られています。

終戦を迎えてから地域は再出発を図り、高度経済成長とともに、富裕層の郊外住宅地のイメージを残しつつ、関西エリアのベッドタウンとしても発展。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では大きな被害を被ったものの、地域の自治会の結束などにより早期に復興を成し遂げました。

現在の御影は、行政と住民の意向により、緑と水の自然豊かで良好な環境が広がっています。

まとめ

自然環境や食糧事情に恵まれていたことから、有史以前より多くの人々が暮らしてきた歴史ある街、御影。富裕層が多く住むエリアとして、神戸市内でも一目置かれる特別な地域として認知が定着しています。

往々にして高級住宅街は交通事情がやや不便な場所が多いものですが、御影は3路線が乗り入れるなど、交通事項が良好。通勤、通学にも不便はありません。

自然環境が豊かで、緑や水の多いエリアとしても有名。日々の生活にゆとりを持ち心穏やかに暮らしていける街として、御影という場所での注文住宅の検討をおすすめします。

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