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神戸は日本一の酒どころとして知られており、灘五郷は神戸市・西宮市の沿岸部にある日本酒醸造が盛んな5つの地区の総称です。灘五郷が酒どころとして栄えた理由は、主に「日本酒造りに適した環境」と「江戸時代に海上輸送の重要拠点だった歴史」の2つがあげられます。
灘五郷は山と海に囲まれており、冬になると明石海峡を吹き抜ける西風と六甲おろしによる強い寒風が吹き荒れることから、良質な日本酒造りを可能とする「寒造り」に適した気候をしています。さらに六甲山の湧き水「宮水」がキレのある日本酒造りに重要なミネラルを豊富に含んでいるほか、上質な酒米「山田錦」の産地ということもあり、日本酒造りに適した環境だったことが酒どころとして栄えた理由です。
また、瀬戸内海に面している灘五郷は水運の便が良く、冷蔵庫のない時代に日本酒を新鮮な状態で大量に江戸に出荷できる体制が整っていました。その際に輸送に使っていた樽の杉の香りが日本酒に移り、熟成されることで酒質が向上。それにより、灘五郷の日本酒は江戸で高い評価を得て、銘醸地として発展したとされています。
灘五郷の各地区で醸造されている日本酒の銘柄は、以下の通りです。
日本で販売されている日本酒のうち約25%が灘五郷で醸造されており、日本酒の愛好家が一度は訪れたい聖地としても有名です。
灘地方での酒造りは、江戸時代初期(1624年頃)の西宮での醸造が始まりとされています。ただ、伝承上では室町時代(1330年頃)から酒造がすでに行われていたという記録も。江戸時代初期~中期にあたる明暦から享保までの間(1655~1736年)は灘地方で創業した酒造家が多いことから、灘の酒造りが勢いを得て盛んになったのはこの時期と言えるでしょう。
明和(1764年~)の頃に灘の酒造りの中核を担っていたのは、上灘(神戸市東灘区)・下灘(神戸市中央区)・今津郷(西宮市)の3郷です。文政(1828年~)になると上灘が東組・中組・西組の3つに分かれ、この上灘三組と下灘・今津が江戸時代の灘五郷として発展していきます。
灘五郷は上質な酒を生み出す銘醸地として江戸での名声を高めていき、江戸時代の後期には江戸に出回っていた日本酒の8割を灘の酒造家が供給していたと言われています。
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