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ここでは、神戸に数々の名建築が残るにいたった歴史、および現存する代表的な神戸の名建築をご紹介しています。
開港以来、神戸には多くの外国人を受け入れてきた歴史があります。外国人は治外法権の扱いでしたので、限られたエリアでの生活を余儀なくされていました。彼らはその地に独自の文化を創出していき、当時の名残りが、神戸の名建築として現代にも受け継がれてきたのです。
北野町・山本通に異人館が立ち並ぶこととなった背景には、明治時代の外国人居留地の用地不足にありました。
開港後、神戸に増加し続ける外国人の居留地を無計画に拡大することは治外法権区域の拡大にもつながることから、時の政府は外国人に対し、東は生田川、西は宇治川までの範囲に限定して日本人との雑居を容認しました。これをきっかけに山手へ延びる南北道の整備をしたことから、必然的に外国人の住宅は南に港が一望できる景色の良い場所へと集中。以後、昭和初期にかけて200棟あまりにもなる異人館街が形成されるにいたりました。
当時神戸に建てられた洋館は、ほぼコロニアルスタイル。ベランダ、張り出し窓、赤レンガによる化粧積み煙突、下見板張りのペンキ塗りの外壁などを特徴とした建築様式です。
神戸の名建築として残されている建築物は、外国人の旧邸宅だけではありません。旧乾邸などのように、日本人富裕層が建てた邸宅もまた神戸の名建築として大切に残されています。
日本人富裕層がこの地に移り住むきっかけとなったのが、近代化による都市部の公害などです。生活環境の悪化を背景に、より自然豊かで環境の良い場所への移住を考えた大都市の日本人富裕層は、続々と阪神間へ移住しました。その結果、阪神間モダニズムと呼ばれる地域特有の文化が開花しました。当時の建築物の一部は、現在の神戸の名建築として大切に維持されています。
異国情緒あふれる神戸の地には、明治期以降から続く洋館が数々点在しています。中でも、とりわけ歴史的意義のある建築物として認められたものは、現在でもなお丁寧なメンテナンスのもとで維持・保存されています。以下、神戸にある8つの名建築を見ていきましょう。
神戸にある特に著名な名建築の1つが旧トーマス邸(風見鶏の館)。1909年(明治42年)頃、ドイツ人建築家のゲオルグ・デ・ラランデ氏の設計により、ドイツ人貿易商のゴッドフリート・トーマス氏が自邸として構えた建築物です。
1階には玄関ホール、書斎、応接間。2階には寝室、子供部屋、朝食の間。空間ごとに異なる意匠が特徴的で、特に応接間にはドイツ伝統とアール・ヌーヴォーを融合した雰囲気を感じ取ることができます。
過去に2回ほど保存修理工事が行われています。2回目の修理の際の、建設当時の外壁の色にすべきだろうという案により、現在は創建当時とほぼ同じ色に再現されているということです。そのレンガ外壁と尖塔の風見鶏は、北野異人館におけるシンボルとして親しまれています。国の重要文化財です。
旧シャープ住宅(萌黄の館)は、1903年(明治36年)、当時のアメリカ総領事だったハンター・シャープ氏の自邸として構えられた建物です。淡いグリーンの外壁が象徴的なことから、「萌黄の館」という通称が付されました。NHK連続テレビ小説をはじめ、過去に何度となくテレビに登場している建物ですので、旧シャープ邸(萌黄の館)の名は全国的にもよく知られています。
館内に足を踏み入れると、赤のカーペットが敷き詰められた厳粛な空間が広がります。1階には応接室や食堂、2階には寝室や子供部屋。奥行のある玄関ホールや、1階の食堂にある暖炉、2階にある広々したバルコニーは、特に旧シャープ邸の見どころとされています。
旧ドレウェル邸(ラインの館)は、1915年(大正4年)、フランス生まれのドレウェル夫人が自邸として構えた建築物です。
1920年に夫人が亡くなって以降、特に注目を浴びることのない建物でしたが、1978年に神戸市が購入して一般公開の工事を行ったことから、徐々にその存在がシンボル化。市民から愛称を募集し、「ラインの館」という名前が付けられました。
館内には歴史を感じさせるさまざまな意匠が見られますが、市が運営する地区の案内センターとしての役割もあることから、歴史資料・震災資料の展示コーナー、お土産コーナー、休憩室など観光者向けの設備も充実しています。入場無料で誰でも気軽に訪ねられるスポットとして親しまれています。
サンセン邸(山手八番館)は、神戸の観光スポット「異人館」にある7つの建築物の1つです。かつてサンセン氏の邸宅として構えられた建築物で、築年は明治時代後期または大正時代とも伝えられています。
随所に見られる洋風の意匠そのものが見どころですが、特に同館を特徴付けるのがレンブラントやロダン、ブールデルなどの巨匠たちによる彫刻の数々。彫刻以外にも東西の美術品が所せましと展示されています。座ると願いが叶うとされる「サターンの椅子」も有名。旧サンセン邸がパワースポットとして認知されるきっかけとなった椅子です。
洋館として知られる建築物ですが、東洋の美術品も多く展示されていることから、オリエンタルな雰囲気も漂う不思議な空間です。
旧ハッサム住宅は、1902年(明治35年)にインド系イギリス人貿易商のK.ハッサム氏が構えた自邸です。もともとは北野町にあった建物でしたが、1961年(昭和36年)、当時の建物の所有者だった神戸回教寺院から神戸市に寄贈されたことを受けて、1963年(昭和38年)に現在の相楽園へと移築されました。
設計者は、神戸で多くの洋館を手がけてきたイギリス人・A.ハンセル氏。入口の大きなアーチや2階の広々したバルコニーは、洋館ならではの開放的な雰囲気です。
趣のある外観や柱、家具、壁などが魅力の旧ハッサム住宅ですが、1階には食堂などのオフィシャルスペースも用意。館内で小コンサートが開催されるなど、市民の憩いの場としても親しまれています。
旧ハンター住宅は、1889年(明治22年)頃、ドイツ人のA.グレッピー氏がイギリス人技師に依頼して建てたと伝えられている建築物です。神戸異人館の中では最大規模を誇る建物の1つでもあります。
1階には玄関ホール、書斎、食堂、応接室、2・3階には居間と浴室と3つの寝室があり、のちに窓枠が増設されたベランダ部分からは、明るくて開放的な自然の木々の広がりが見晴らせます。建物のペパーミントグリーンの外観も、自然の山々や木々によく映えます。。
なお、館内の見学は無料ですが、常時内部が公開されているわけではありません。見学を希望する方は、神戸市が発信する情報から公開日程をご確認ください。
旧グッゲンハイム邸は、1908年(明治41年)頃に、イギリス人建築家のアレクサンダー・ネルソン・ハンセル氏が設計したと伝えられる建築物です。何人かの所有者を経る過程で地震にも風雨にも負けず、100年以上にわたりこの地で海を望んで凛と立ち続けています。
庭と一体化した落ち着きあるその風体は、市民のみならず全国からの観光客の憩いの場ともなっています。景観の良さから、映画やドラマのロケ地、コンサートなどのイベント会場、結婚式場など、さまざまな用途に利用されてきています。
2020年の調査により、実際にこの住宅を建てたのはゲッゲンハイム氏ではなくジャコブ・ライオンス氏であることが判明しました。1960年代の取り違えが原因によって長く誤認されていましたが、すでに「旧グッゲンハイム邸」という名で親しまれていることから、以後もその名を継承することとなりました。
旧乾邸(きゅういぬいてい)は、1936年(昭和11年)頃、乾汽船株式会社の創設者だった乾新治氏の旧邸宅です。当時、名建築家として知られた渡邊節氏の設計によります。
素焼きタイルに囲まれた約1,200坪もの広大な敷地、その中央にある赤い瓦屋根の建物が旧乾邸の母屋です。和洋の建築様式が見事に調和した外観を取り囲むように、六甲山麓の地形を活かした前庭、洋式庭園、和式庭園など、風合いの異なる庭を贅沢に配置しています。母屋3階のサンルームから見晴らす神戸の街並みは絶景です。
阪神間モダニズムを代表する建築物として、敷地全体が神戸市指定有形文化財に指定されています。
神戸に名建築が多く残されるにいたった歴史、および現存する神戸の主な名建築についてご紹介しました。
神戸にある数々の名建築は、一般に観光客向けのスポットとして理解されているかもしれませんが、実際には神戸に住む地元の方々の憩いの場としても長く親しまれています。神戸に住んでいるからこそ、名建築の本当の魅力が心へ染み込んでくるのでしょう。
歴史ある名建築が数多く生きている神戸の地。高級注文住宅の購入をお考えの方は、ぜひ候補地の1つとしてご検討下さい。
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